極端な意見かもしれませんが、
持続可能なボランティアは存在しないと思っています。
個人レベルでは持続可能でも、
次世代へボランティアを繋いでいくことは、
良し悪しは別として、よほどの教育を行わないと難しいと思っています。
教育を行ったところで、
マインドコントロールや義務感を植え付ける形になってしまうので、
「ボランティア?」というのは少し疑問が残るところです。
持続可能にするために、報酬を出す方法もありますが、
無償ボランティアは時代錯誤だとしても、
適正な報酬を出せば、それは仕事になってしまいます。
有償ボランティアはあくまでも、
「やってもいいよ。」
という人に対して、
謝礼を出す感覚なので、
賃金とは違いますし、
その報酬額も異なってきます。
僕は世代を超えて持続可能なボランティアは存在しないと思っています。
とはいえ、意思を継いでくれる人が絶対に現れないとは言えません。
でも、それも何世代続くか分からないのです。
現在、大城地域の美化作業や、いくつか北中城村のボランティアをやっていますが、
僕がいなくなれば、その代わりがいなくなるのは止むを得ないと思っています。
それがボランティアだと思っているからです。
「やってもいいよ。」
という人がいれば、ボランティアは残るし、
「忙しくてできない。」
などの理由であれば、
そこまでやらなくても良いのだと思います。
ボランティアなので、やる気のない人を無理やりさせるわけにはいかないだろうというのが僕の見解であり、
今、僕がしている活動のうち、地域の美化作業をやらなくなることで、
地域の景観が損なわれることは止むを得ないことです。
将来的なことを考えれば、僕がやらなくても、いつかは誰もやらなくなると思っています。
その際は、行政がやるのか、土地の所有者がやるのか、地域が業者に頼むのか、放っておくのかは知ったこっちゃないのです。
僕がやれるうちはやるし、やれなくなったら辞めてもよいのがボランティアだと思っています。
そして、それができるのがボランティアであり、
ボランティアだからこそ、将来的なことについては無責任でも良いと思っています。
ただし、僕の活動をみて、
同じようにやりたいと思う人が出てくるのであれば、大歓迎です。
そうでなければ、別にそういった活動がなくなることに未練はありません。
なぜなら、僕が好きでやっていることだからです。