「未熟」は言い訳にはならない

考える



お仕事をする上で、
僕は「未熟」を言い訳にしてはいけないと思っています。

もちろん、相手のご厚意で、
「まだまだ若いから」
「まだ1年目だから」
といったように、
「未熟さ」を理解していただけることにがあってもよいし、
それはとてもありがたいことだと思います。

「ありがたい」という言葉は、
「有り難し」を由来とすると言われ、
簡単に言えば、
「なかなかないこと、ありえないこと」の意味です。
そんな寛容な気持ちで理解してもらうことは、
本当にありがたく、感謝のみです。

あくまでも、受け手がそうあってくれることに対して、
感謝するのは良いと思いますが、
報酬をいただいて仕事を引き受ける以上、
駆け出しであっても、初めてであっても「プロ」だと思っています。

僕が大城自治会の役員から推薦を受けて自治会長になった時、
その頃は、大城に住んで7年、8年くらいだったと思います。

自治会長は、村からも自治会会からもお手当をいただきます。
報酬が発生しているので、お仕事だと思って取り組みました。
大城生まれ、大城育ちではありません。
なので、自治会長としての教養を身につけるために、
たくさんの人に話を聞いたり、
大城に関わる書籍を読んだり、
自治会長の期間中はできるだけ集落も歩くようにしました。

これはあくまでも僕のポリシーでありプライドです。
お金をいただく以上は、
できるだけ「未熟」であってはいけないと思ったので、
勉強しました。

大城の人たちは優しいので、
僕の「未熟さ」は十分に理解してくれていたので、
「よく頑張ってくれているね。」
と声をかけていただくことが多く、
これまたありがたいことでした。


現在、僕は国指定重要文化財中村家住宅のガイドを、
有償で行っています。
つまり、お金をもらって行っています。
しかし、僕はガイドとしては駆け出しです。
今までガイド経験なんてないですし、
あまり人のガイドを聞くと言うこともありませんでした。
その中で、お金を払ってくれるお客様のために、
支払ったお金以上の価値を提供するのが「プロ」の仕事だと思っています。
プロというのは専門家というよりも、お金をもらうという意味で使っています。


自分から「未熟」といってしまえば、簡単です。
もちろん、僕自身は現在ガイドとしてはまだまだ未熟ですが、
お金をいただく準備ができたからこそ、
有償でガイドを行っているわけです。

準備もできていないのに報酬をいただくなんてことは、僕にはできないのです。


例えば、教壇に立つ教員が未熟を言い訳にして、
授業がうまくできないという話をしたとしたらいい気持ちをしないんじゃないかなと思います。

例えば、ラーメン屋さんに入って、
未熟を理由においしくないラーメンを出されたからといって、
許そうとは思わないと思うのです。
単純に次がないだけの話です。

報酬をいただく以上、
過大な成果を求められるのは困りますが、
報酬相応の満足度が提供できる準備ができて、
ようやくお金をいただけるのではないかと思っています。


繰り返しますが、
周りが「若さ」「未熟さ」を理由にしてくれるのはありがたいことで、
ある意味で、優しい社会だとは思っています。
もちろん、甘やかしすぎると社会全体の成長はなくなるので、
程度が難しいのですが…

ただ「初めて」や「未熟」はお金をいただいているお客様に対しては言い訳にならないというのが、
僕の個人的なポリシーであり、プライドでもあります。


タグ :考え方

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