国指定重要文化財中村家住宅のガイドも1ヶ月くらいになるかなと言った感じです。
お金をいただいてガイドするからこそは、
できるだけ深く追求しておきたいなと言うのは建前で、
調べれば調べるほど、分からないことばかりなので、
個人的に楽しく調べ学習しております。
分かっているけれど知らないと言うことよりも、
「史料がないのでほぼほぼ不明」なことばかり。
つまり、分かってないことばかり。
それこそ、中村家住宅の先祖とされている「賀氏」ってなんなの?
調べれば「護佐丸の学問や築城の師匠」って出てくるけど、
「いやいや、そもそもその学問はどこで身につけてきたんですか????」
ってなるわけですよ。
護佐丸が携わったとされる中城城跡は、日本最強の城に選ばれて、
石積みとは思えないほどの見事な曲線美と、
より強固になるという機能美も備えている。
「賀氏」さん、なんなのあんた?
護佐丸は日本で言うところの大名クラスなので、
そこそこ文献には残っているものの、
「賀氏」の文献は残っているのか、
そもそも記されてすらいないのか…
「賀氏」だけでもこんなに分からないことばかり…
護佐丸・阿麻和利の乱で凋落の一途を辿って、
「賀氏」も歴史から姿を消してしまう。
ちなみに、護佐丸の兄ちゃんの安里大親はちゃっかりクーデーターで意趣返し。
でも、護佐丸一族は連帯責任だったような…
この辺から、いろいろ思うことはあるわけで…
そこからですよ、200年の時を経て、
旧に中村家の初代が現れまする…
どうして200年も経って、旧に現れたのか。
何よりもどうやって中村家住宅を移築し得たのか。
お金は労働力はどこから?
そもそも、その時期に中村家住宅を首里から移築したという伝承が違うのか…
時代背景は…
そして、初代比嘉親雲上(ひがペーチン)から代を重ねて、
今の村長級の力を得たのか…
一回、凋落してますからね…
200年も表舞台に出てきてなさそうですからね…
中村家住宅は、氏族と豪農の家が全部集まった上でに、
戦禍を乗り切った超絶レアケースな家です。
ちなみに、建て替えの憂き目もあったようです。
300年も残っているというよりも、残していることの方が実は偉大。
時代の流れに合わせて便利な家に建て替えるだけの財力はあったはずなんですけどね…
おそらく、維持・管理する方がよっぽど財力が必要。
さて、中村家住宅は謎ばかりです。
なぜ、こんなに謎ばかりの国重要文化財が放置されてきたかと言えば、
きっと、とても単純なことなんでしょう。
豪農とは言え、立派な家とは言え、特権階級ではない士(サムレー)では農民なので史料がない。
史料はあったかもしれないけれど、
沖縄戦で司令部に使われて、
終戦後も地域の住民が暖を取るために壁板などは燃やされたとか…
そりゃ、燃えやすい、燃やしやすい紙は燃やしちゃうよね…
まず、有名にはほど遠いためにまず調べようとしないだろうと思うのです。
調べるとしても建築手法や琉球風水(りゅうきゅうフンシー)とか敷地や家屋全体の史料としてになるのではないかなと…
その上に、歴史研究家からすれば、ものすごく史料がない。
那覇の街並みなどは、那覇を出入りしていた明や清、江戸などの人たちが残した史料がある。
けど…中村家住宅まではね…
歴史研究家や歴史学者からすれば、中村家を研究対象にするのはコスパが悪い気がしてならぬ…
ということで、当面の目標!
・賀氏をちょっと探る
・移築の伝承が残っている時期の時代背景を探る
・琉球処分から沖縄戦までの中村家の情報を洗い出す
この辺をちょっと重点的にやってみようかと思います。
時代が近いほど史料とか伝承が残っているのよね…
はてさて、どうしたものか。
ワクワクしますね(笑)