現在、台風6号の暴風域内にあって、
荻道・大城集落は風は割と穏やかなんじゃないかなぁと勝手に思っている。
もちろん、台風対策は十分に行った上じゃないと、
飛来物になって他所様に迷惑をかけるわけにはいかないので、
しっかりと台風対策を行った上で、
おそらく、荻道・大城の地形的に暴風や強風に強いつくりに仕上げているのだろうなと思う。
そもそも、紀元前1500年前、3500年前には狩猟時代の貝塚である「荻堂貝塚」があって、
海から少し離れていることも踏まえると何かしら住みやすかったのかなとも思う。
貝塚が残る条件としては、
そもそも海で侵食されないということも重要なので、
荻堂貝塚も狩猟時代の一拠点だったとしても、
安心して火を焚いて過ごせる場所だったのかなぁと思いを馳せる。
冒頭の写真は、グーグルマップさんからスクショで拝借した荻道・大城の航空写真で、
東西南北はそのままにしているので、
上側が北になる。
風水と聞くと「運気アップ」など、
少し怪しげに感じる人もいるかもしれないけれど、
風水にも結構ジャンルがあるみたい。
(この辺は付け焼き刃なので…)
琉球の偉人の一人である蔡温は風水に熱心だったことは、
彼が関わった書物からも分かる。
しかし、彼はユタや霊といったものはあまり好まず、
かなり厳しかったみたいなので、
当たるも八卦当たらぬも八卦みたいなものは好きじゃなかったんだろうと思う。
蔡温が熱心だった「風水」は気脈などの非科学的な言葉を使うものの、
割と合理的であるように思う。
また、土地に合わせて変化するものなので、
沖縄は沖縄の地形や気候に応じた「沖縄風水」と呼ばれるものが発展したと言われている。
「沖縄風水」を調べるきっかけになったのは、中村家住宅からで、
なかなか風水的に理にかなったつくりになっている。
それ以外にもおもしろいところはたくさんあるのだけれど、
「風水」的視点というのもまたおもしろい。
僕の認識としての「風水」は、
まずは「良い土地」があって、
その「良い土地」を集めたら、
なんか「良い土地の傾向」があって、
それをまとめたものが「風水」だと思っている。
風水も中国発祥と言われているけれど、
占いではなく統計学と呼ばれる四柱推命にも似ている部分があると思っている。
さすが中国、歴史の長さとデータの豊富さの為せる業だと思っている。
今の言葉だと「環境工学」とか言ったりするらしい。
前述のように、荻堂貝塚があったということを踏まえると、
この地域は住みやすい地域の1つだったと言えるし、
未だに荻堂貝塚が現存していることも踏まえれば、
3500年間、天災級の地理的変化がなかった土地とも言えるんじゃないかなと考えている。
とりあえず、中村家住宅が建築されておよそ300年は大きな地殻変動などはなかっただろう。
蔡温が活発に活動したのがおよそ250年ほど前、
その活動の中に集落づくりがあり、
沖縄の風水で「抱護」という概念の集落づくりが行われる。
ものすごく簡単に言えば、
山並みがぐるっと取り囲むような場所に集落をつくったり、
そのように整えていく。
写真の北東にあたる部分は森になっている。
そこから少し南西に進むと窪地になっている。
両側に小高い森があり。
すでに抱護の形を為している。
風水的にとても理想的な土地だと言っても良いんじゃないかなと思う。
また、沖縄の道は基本的に曲がりくねることが多い。
碁盤の目のようにというのはなかなかない。
特に荻道・大城のような昔の集落の趣を残す集落は高低差や曲折している道が多い。
川にも言えることだが、水流は蛇行させる方が弱まる。
屋敷ごとに台風の強烈な風の防風壁の役割をするようにつくるのが「村抱護」で、
それぞれの家がうまく風を弱める。
今は、徐々に現代風になっているのだけれど、
屋敷囲いのあった家が多かったので、
集落全体として台風からそれぞれの屋敷を台風の暴風から護ったと考えて良いと思っている。
明治以降、琉球王国から琉球藩、沖縄県となった沖縄には、
昔の風水の技術はほとんどのこっていないとのこと。
中村家住宅同様に、昔の人の知恵を残っているものから導き出さなければ、
当然のこと、住みやすいように生活が変化していく。
最近、省エネ法というのができたようで、
電気を使わずにたくさんの工夫をした昔の暮らしが見直されつつあるようなので、
うまいこと風水とかと結びついたらいいなぁと思っている。
(自分で調べる気はあまりない…)