つぶやき【文句も言ってもらえなくなったらおしまい】
この年齢になって、
怒られたり、叱られたり、文句を言われたり、
いや、この年齢にならなくても、
あまり気持ちの良いものではないけれど、
自治会長を引き受けた時には、
たくさんの人がいるのだから、
賛否両論あって当然、
非難覚悟の上で引き受けたのだけれど、
結局、推薦した役員の人たちと「話し合い」ができないと判断して、
あくまでも僕の「力不足」で辞任を決意しました。
自治会の中核となる役員会で民主主義の原則である「話し合い」ができないのは、
もうどうしようもないなと思ったわけです。
話し合いができないことと、
文句とは少し意味合いが違って、
あくまでも要望だったり、不満を教えてもらえるのはとても良いことで、
挨拶も交わさないようになるのは最悪ですが、
挨拶しか交わさないのもまたなんとも言い難い。
もちろん、要望や不満などがなければ別に引っ張り出す必要もないのですが、
言いたいことがあるのに言えない、言わない関係性はもったいないし、
言ってもらえなくなった人たちを見ていると悲惨さを感じる部分もあります。
僕も独裁的なことをまったくやっていないとは言えないので、
僕に対して強く言えない人も出てきているかもしれないですが、
ゆんたくしながら、いろいろ情報交換してもらえるのはありがたいし、
時には手厳しいことを言ってもらったり、
愚痴をこぼしてもらえるような関係性は保っておきたいなと思っています。
文句も言ってもらえなくなるのは、見放された証のように思うことがあります。
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